【読み物】「分かたれる普通ではない普通を」(柳沼雄太)

 新胡桃『何食わぬきみたちへ』(河出書房新社)は、「傍観」と「介入」を視座としながら、それらを分かつ「普通」という判断軸を常に問い直している小説である。

 語り手のひとりである伏見は、常に傍観の立場に位置し、自らを主張することがない。クラスメイトの大石は正義感が強く、同じクラスの古川が障害を抱えた者たちが集う分教室のひとり、坪井勝夫を揶揄するような言動に憤り対立が起きる。一方で、勝夫の妹である敦子は、今の家庭に幸せを感じつつも、自分以外の他者における「普通」の価値判断から零れ落ちることに寂しさを感じている。

 三者三様の価値観が相克し合いながら展開される物語には、絶えず傍観と介入の座標軸が存在し、敦子や大石、古川が他者の価値観へ介入せざるを得ない様に葛藤しながら生きようとする一方で、伏見はほぼ無意識下において傍観者としてこの物語を語る。

 それぞれの登場人物の苦悩は、「普通とは何か」という問いを導き出す途上にあると筆者は考える。

 敦子は自らの家庭環境や境遇に「普通」というレッテルを貼らざるを得ない脅迫観念に駆られており、それは他者の視線によって眼差されるが故の行動規範が変容したものである。敦子と対比するように、この物語内で他者を代表するのは伏見であり、彼はこの世界への介入が叶わず、関東の障害者施設で起きた無差別殺傷事件の報道を見ても「どこか別の世界の出来事のように感じられ」る。ふたりの「普通」という価値観の揺らぎが、それぞれの苛立ちやもどかしさを生む。それは分教室で衝突する大石と古川の間に生じている溝でもある。

 世界に介入し得ない他者が無自覚に振り翳す「普通」には、重大な凶暴性が孕まれる。独り善がりの普通は、他者の感情に介入することを許さない。「純度の高い真っ当な感情」に向き合うことのできない伏見が終盤に「許せない事が何も無いから、なんとなく苦しい」と感じつつ平生を保とうとする行為は、その直後で、許したら全部無かったことになると語る敦子の「普通」を無意識に否定することではないだろうか。互いに寄り添うことのできる「普通」とは何であるかが交錯するこの場面で、読者は自らの「普通」という価値観を再度問い直すこととなる。

 分かたれる「普通」ではなく、自らの中に潜む〝普通であること〟の価値観をどのように捉え直すか。その価値観に対峙した時に初めて、他者の「普通」を眼差すことができるだろう。それは分かたれない「普通」となり得る。

柳沼雄太(やぎぬま・ゆうた)
書肆 海と夕焼 /夕凪文具店 店主。文芸評論家。読書会ファシリテーター。
週刊読書人、丸善雄松堂『學鐙』に書評掲載。著書に『連弾書評集 海と余白』(よはく舎、小林えみとの共著)。双子のライオン堂にて、三島由紀夫『金閣寺』、中上健次「秋幸三部作」のファシリテーターを務める。ほか、読書会やZINEフェスの主催・企画なども手掛ける。