【読み物】小島信夫が住んでいた家を見にいった。(江藤健太郞)

 節目、というものはあるようでなく実はどうだっていいものなのだが、今年は小島信夫という小説家が死んでから二十年目に当たる。生きていれば百十一歳になるということは小島信夫は戦争に行ったしその後九十一歳まで長生きしたし夥しい量の小説を書いた小説だけでない批評戯曲エッセイわが家を建てる記何でも書いたそのどれもが限りなく小説に近く、書くものすべてが良くも悪くも小説になってしまう運動が小島信夫だった。最初の小説は定かでないが最後の小説は確かに『残光』でこれは死の間際九十一歳のときに書かれたというのだからもう目が悪くて拡大鏡越しに原稿用紙のマス目を埋めていたというのだから、ほんとうによく小説を書いた。小島信夫には小説しかなかったという。生田に今もある明治大学理工学部の教授として定年まで学生たちに英語を教えていた英文学を教えていた。当時の同僚部下たちは今や名だたる翻訳家研究者だが小島の死後彼を偲んで書かれた文章には必ずといっていいほど小島さんは仕事以外も小説のことばかりだった、とある。あるいは、小島さんは会うと必ずわたしの家のことをしつこく訊いてきました。それこそ犬のように。奥さんは何してるのか子どもはどうしてるのか。上の子はもう君を追い越すくらい大きくなったそうじゃないか。君は近頃小説を書いていて僕もいく度か読ませてもらったけど君は君らしい小説を一つも書いてないじゃないか。どうして自分を書かないんだ。どうして奥さんのことを書かないんだ。それができたら今までにないものが書けるのに、どうして君は素通りするんだ。

 いつだって〈人間〉のことを彼は書いたそこにしか書くべきものはないと知っていたかのようだった。『抱擁家族』。彼の代表作。その小説を書きながら彼はノートを書いていたそこにこうある。【小説の推移、一つ一つの会話がそのまま混沌としていて、しかも人生そのものというようにすべきである、そのくらい複雑でなければ、こういう問題を書く意味がない】。本来、人生は複雑で混沌としているものだ。事前に決めた計画はまず裏切られるし明日この身体だって損なわれるかもわからない。こうして当たり前に生きていることは実は奇跡のようである。そう、人間はそんな混沌を毎秒忘れることによって健やかに生きているのだ。もしそうでなければ、ああコンビニ行きたいけど車に轢かれるのがひどく怖いああ人を傷つけるのが恐ろしくて何も発せられない人間は一ミリも動けなくなってしまう。では、混沌を忘れた人間はその穴を何で埋めているのか。代わりに思い出し続けているのが〈フィクション〉なのである。小説演劇映画漫画絵画などに由来するあのフィクション。頑張れば夢が叶うとはもう誰も信じていないかもしれないが毎日コツコツ技術を磨けばいつか一人前になれる正社員として勤労しきちんと家賃を払って自律している大人はまともだ、とか人間は想像以上にフィクションを基盤に生きている。フィクションを思い出し続けることで危うい混沌を背後の世界に隠蔽し、人間は健やかに生き延びている。一方、小島信夫の小説はそんなフィクションを脱臼させ背後でくつろいでいた混沌を引き摺り出しこれでもかこれでもかとわたしたちに対峙してみせる。だからいつも主人公は切羽詰まっているし文体は崩れかけている。そんなワケだから小島信夫の小説に拒否感を示す人がいるのも当たり前だ。そんな混沌、見たくなかったのに! 三島由紀夫が『抱擁家族』を読んで気持ち悪い! といったのは有名な話。上野千鶴子小倉千加子富岡多恵子の『男流文学論』でもどうしてこんなに出てくる人物がどいつもこいつもイヤなヤツなんだろうと誰かが非難していた。そりゃそうだ。【混沌としていて、しかも人生そのものというようにすべきである】なんだから。
 わたしは、そんな小島信夫の小説を、混沌を、愛している。

 五年ほど前のこと、わたしは生前小島信夫が住んでいた家を見にいった。とある小説に自分の住所を平気で書いていたそれを鵜呑みにした。不意にわたしは国立へ向かった。夏の夕方ひどく暑い西日。国立駅を出るとわたし、いや、彼はしばらく線路沿いに進み次いで離れ住宅街へと入っていった。歩くこと十分、急坂の下に運動不足の彼は着いた。いや、彼は運動不足ではなかった。毎日涙が止まらずそれに抵抗するために週に一度市民プールで泳いでいた。坂を見上げ彼は微動だにしなくなった小島信夫が何度も何度も繰り返し書いたあの坂が目の前にあった。雨が降ると土滑りが起こるというあの坂子が疲れ立ち往生してしまい少し先で買い物袋をぶら下げた母親が振り返りもせずに佇んでいたというあの坂その様子を石塀の隙間からじっと眺めていたというあの坂。今では坂はコンクリートで覆われ階段状になり剥げた朱色の手すりまで付けていた。彼は右足を出した。下から三分の一くらいのところで右手に大きな灰色の家が見えた。すかさず表札を見た。〈小島〉とあった。思ったよりも大きく思ったよりも古びていた。二階では白い敷布団が小さくなって風に揺れていた風などなかった止まっていた。彼は痙攣したように立ち止まり数分後またゆっくりと動き出した。額の汗を拭った。上り切った先の路地で小学生二人がキャッチボールをしていた彼は芝居じみた様子で辺りをうろついた。誰もカラスも彼のことなんて見ていなかった。彼はしばらくして今度は坂を下り出した。再び家の真横に差し掛かると坂に向かって開け放した格子窓があってその隙間から部屋の内側がきれぎれに見渡せた。居間のようだった。右側に茶色い机が寄せられ正面に黒々した大きな棚そこに黒縁の写真立てが二つ並んでいた左は女性の写真で右はグーグルの画像検索で講談社文芸文庫の巻末で何度も何度も見た紛れもない彼のこよなく愛する老作家の顔だった。彼は途端に涙したくなったぐぐぐと自分の内側に入り込んだしかし目玉は乾き切っていた滲んだそばから蒸発しやがて入道雲の欠片となった。この坂で転倒し顔を擦りむき血を出した老作家の晩年を思い出したその描写を思い出した思い出すというのとも違う小説の濃密な濃密な霧にまともにぶつかったみたいだった。彼は一分間立ち止まり何を思ったか突然階段を上ると速くも遅くもないキャッチボールを横目に住宅街を駆け抜け行きより大きく迂回して駅へと戻った。中央線に乗り込み祖父母の待つ十八階建のマンションへと帰っていった。その頃彼は共に八十歳を越えようとしていた祖父母の家に居候していた少し前に失恋し六キロ痩せ毎日泣き喚いて世界を相手に小走りに狂っていた。

江藤健太郎(えとう・けんたろう)
1999年生まれ。2025年、ひとり出版レーベル「プレコ書房」を立ち上げ、初小説集『すべてのことばが起こりますように』を自ら刊行。ほかに『ひとり出版流通攻略ガイド』(タコシェ)。2026年4月、第二作品『人間は絶えず煌めく』を個人出版としては異例の初版2000部刊行。