私が中高生の頃に通っていた学校は、「ごきげんよう」のあいさつで一日が始まる、いわゆるお嬢様学校だった。「スカート丈は膝の真ん中まで」、「髪が肩を超えたら二つに分けて結ぶ(髪ゴムは黒のみ)」などの服装規定から、「友達と貸し借りするCDや漫画は紙袋に入れて家まで厳封」、「文房具店と書店以外の寄り道禁止」まで、腑に落ちない校則がたくさんあった。
中でも一番納得できなかったのが「置き勉禁止」。その日に使う教科書はすべて家から持って行き、さらには持ち帰らなければならなかった(どうせ、家では教科書なんて開かないのに!)。
読書が唯一にして最大の趣味だった私は、鈍器のような六限分の教科書とノートでパンパンのスクールバッグに無理やり文庫本を押し込み、ひいひい言いながら、髪をお下げにして片道一時間の距離を通学していた。
そんなある日、人生で初めての「タイトル買い」をした本がある。それは、群ようこさんの『鞄に本だけつめこんで』。作者が愛読する日本文学を紹介した読書エッセイだ。「私だって、鞄に本だけつめこみたいよ!」と思いながら、教科書の隙間に買ったばかりの本をねじ込んで家を出た朝のことを今も覚えている。
読み始めてすぐに、その楽しく軽やかな文章の虜になった。群さんは作品の内容だけでなく、その本と一緒に過ごした自分の時間を語る人だった。たとえば幸田文『父・こんなこと』の章では、幸田露伴とは対照的なギャンブル好きな絵描きの父との日々が、梶井基次郎『愛撫』の章では、飼い猫トラちゃんとの暮らしが、ユーモアたっぷりに綴られている。
筋金入りの愛読家である群さんのエピソードにもいたく共感した。洋服の値札を見て「これで本が何冊買えるだろう」と考えていた彼女のように、当時の私も「昼食代を貯めれば、文庫本が一冊買える」と、百円で買える大きなパン(スイートブール)ひとつで無理やり腹を満たしたりしていた。また、群さんが弟さんから「おねえちゃんみたいに一見たくさん本を読んでいるように見えて、それが何の役にも立っていない人のこと、目から鼻の穴に抜けてるっていうんだよ!」と怒られる場面では、妙に納得してしまった。私も散々、家族や友達から「本をたくさん読んでいるわりには……」と言われてきたから。
読み進めるうちにすっかり、読書好きな近所のお姉さんの楽しい話を聞いているような気持ちになっていた。最後の林芙美子『放浪記』の章では、その本を今も大事に手元に置き続けているという話に「群さんならそうするだろうな」と思った。若い頃に読んで、これだと思った本を長く連れ添うように持ち続けるところまで含めて、群さんらしい読書に思えた。
また、この本を通じて初めて尾崎翠を知り、『第七官界彷徨』を読んだときの衝撃は忘れられない。ここに紹介されていた作品を端から読んでいった日々は、私にとってこの上なく豊かで幸せな時間だった。
これを書いている隣には、すっかり茶色くなった『鞄に本だけつめこんで』がある。実家を出てから五回の引っ越しを経て、結婚や離婚もしたけれど、この本だけは一度も手放さなかった。これからも群さんのように楽しみながら本を読み、読んだ本のことを楽しく語れたらと思う。
あれから三十年が経った今も、教科書が憎かったあの頃と同じように、仕事のゲラの隙間に本をねじ込んで家を出る。あの頃と鞄の中身はずいぶん変わったけれど、本を入れる場所だけは変わらない。
佐藤舞(さとう・まい)
1982年静岡県生まれ、東京都在住。いつか開店する本屋・出版社「カルガモBOOKS」として日記本『笹塚diary』を刊行。ほかに超ローカルエッセイ集『笹塚アンソロジー』など、愛着のある街、東京・笹塚をテーマにしたZINEを制作している。趣味は水鳥観察と物産展巡り。

