今からざっくりしたことを言うけど、驚いたり見下したりして耳を塞がないで欲しい。きっと君にも役に立つことだから。
社会にはリズムが足りてない。リズムだ。ドンカッドドンドンカッとか、ツクツクツクツクツクとかのリズムだ。手首の血管に指先を当てた時に感じるリズム。心臓が拍動し、息を吸って吐くリズム。あらゆるものはリズムを持つ。なのに社会にはリズムが足りてない。たぶんそれは意図的なものだ。個別のリズムをぶった切るように社会は設計されている。リズムが無ければ、動きは止まり、空気は澱み、何もかもうまくいかないって気分になる。停滞してる感じ。クソ、マジかよ。冗談抜きで窒息しそうだ。
だから君もわたしもリズムを取り戻さなくちゃならない。内側から湧き上がってくるリズムを。それは世界に溢れるリズムに気づき、同期することだ。エドガー・ライトのシットコム『スペースド』に登場するレイヴ狂いのタイアス・オフラハティが電話の着信音と秒針の音でガンギマって踊るように。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でセルマが工場の機械の作動音からミュージカルを紡ぎ出すように。
まずはリズムに気づくことからはじめてみよう。リズムを感じるのは耳だけじゃない。目も指先も鼻も胃袋もリズムを感じる。君が五感のアンテナをくるくる回せば、世界がリズムに満ちていると気がつくだろう。電車の窓から見る電線、ガタンゴトンという揺れ、点滅する赤信号、会話と相槌、歩行、心臓音、新月と満月の間、潮の満ち引き。人工物から自然物までそれぞれの周期で揺れ動いている。「There’s a whole lot of rhythm going round」とジョージ・クリントンが歌うみたいに。
リズムを見つけたら次は同期する。タイミングを合わせて一緒にステップを踏むんだ。リズムに同期するためには自分自身がリズムを発する振動体にならなくてはならない。君はどう? 発してる? 振動してる? 振動ってヴァイブレーション、つまり、ヴァイブスだ。それは、周期的に行ったり来たりを繰り返すこと。ヴァイブスって言葉を使い潰したクソつまらない連中にギラギラの指輪を四つくらいハメた中指を立てよう。そして君もわたしも自分自身のヴァイブスを見つけて、揺れ動くんだ。
リズムを発するためにわたしは散歩をする。手足を交互に前に出す。反復する動作が自然とリズムになっていく。リズムを発するために、本を読むこともできる。たとえば一文字一文字を追う視線が改行でつんのめるように移動する時にリズムを感じる。遠くでタイプライターのベルがチーンと鳴ったような気がする。ページをめくるのもリズムだ。リズムを発するようにデザインされた言葉もある。俳句や短歌、マチネ・ポエティクみたいな定型詩や、ライミングに溢れた遊び歌がそうだ。
わたしのお気に入りは金関寿夫と元永定正によるリズム絵本『カニツンツン』(福音館書店)だ。黙って、そして、声に出して読んでいる。It goes like this…

「カニ ツンツン ビイ ツンツン
ツンツン ツンツン
カニ チャララ ビイ チャララ
チャララ チャララ」
これを時には黎明期のデトロイトテクノのように読むし、またある時はフリーカーミュージックみたいに読む。ハイチのヴードゥーのドラミングのように読んだり、チベット仏教の声明のように読むことも、ミュージカルのように読むこともできる。声に出して読むうちに自分自身からリズムを発する感覚が掴めてくる。次第に書かれた文字列は素材になる。サンプラーのパッドを叩くみたいに、カニ、ツンツン、ツン、ビイ、ビイ、チャララ、ビイ、ツンツン、ツ、ビ、チャ、ララ、ツンツン、カニツンツンツンツンツンツンツンツツンツンツン……と自在に変形していく。
朗読ってこんなだっけ? 朗読は原文の通りに読むものだが、原文にない息遣いや間の取り方、声色は朗読者に委ねられている。朗読の中のちょっとした遊びを拡張していくとこんな感じになってもいいのかも知れない。読むことは自分を変化させるだけじゃなくて本をも変化させるってことなのだ。だいじなのはリズムを途切れさせないこと。基本はリズムキープってRIP SLYMEも言ってたし。何よりも、わたしがわたし自身のリズムを、そして、君が君自身のリズムを取り戻すことを祈ってる。発信なんてうっちゃってさ! 世界を置いてけぼりにして、夜通し発振し続けよう!
有地和毅(あるち・かずき)
1987年広島県生まれ。そこはかとなくファニーなブックディレクター/ブックウロチョラー。本と出会うための本屋「文喫」をはじめ、「本を新たに社会実装する」をテーマにかたく柔らかくさまざまな動きをつくっている。散歩と食べものと音楽が好き。

