
このたび双子のライオン堂では、小田垣有輝さんを講師にお招きして講座「お笑いを〈文学〉する」を開催します。
「お笑いを〈文学〉する」は、ワークショップ形式で、現代の「お笑い」のネタを軸に、古今東西の文学との比較を通じて、どうしてそのネタが「笑える」のか、「文学的」とも言えないだろうか、という問いを、参加者の感想や批評もお聞きしつつ、分析していきます。
講師は、国語教師であり、作家としても活動している小田垣有輝さんです。小田垣さんは「地の文のような生活と」という文芸誌を発行し、小説や批評作品も精力的に発表しています。また実際に学校の授業でも文学作品を教える際に、生徒に馴染みのある「お笑い」ネタを活用して、文学理論を教えています。
講座は、全部で6回を予定しています。全部参加してもらえると嬉しいですが、毎回完結した内容なのでどこから参加してもOKです。(前半後半に分けての通しチケットと各回のチケット販売があります)
課題の作品やネタは事前に見たり読んだりしてきて頂く前提で会は進行します。
<基本情報>
開催日:毎月第3金曜日、19時半〜
場所:双子のライオン堂(東京都港区赤坂6−5−21−101)
費用:2000円(1〜3回の通しチケットもあり)
<講座全体の概要>
「お笑い」とはなんでしょうか。
漫才、コント、コンビ、トリオ、ピン芸人、王道、シュール…その形態やジャンル、ネタの内容は多岐に渡っています。
ただ、いずれのネタも、それを観た人々は「笑う」という同一のリアクションを取ります。それぞれの芸人のネタは千差万別なのに、どうしてみんな「笑う」のでしょう。
千差万別に見えるそれぞれのネタも、「笑い」というリアクションに繋がる同一の構造を持っていると考えられます。
お笑いのネタもフィクションの一種です。そして、言葉を媒介にして構成されている。つまり、同じように言葉によって構成される「文学」と近しい場所にあるはずです。
このワークショップ(教室?)では、お笑いの構造を文学理論を用いて明らかにしつつ、類似した文学作品と比較検討することで、文学との共通点・差異を考えていきます。
東京03、ラーメンズのような緻密なネタから、トム・ブラウン、ランジャタイなどの不条理ネタも扱っていきます。
なぜ私たちは笑うのか。そもそも笑うとは何か。お笑いと文学の関係を考えながら、それらの問いに接近していきましょう。
第1回
・東京03と中島敦『山月記』―トリオネタの魅力/『山月記』って本当に二人?
中島敦『山月記』は虎になった李徴と袁傪の対話劇のように見えます。ですが、本当にそうなのでしょうか。実はそこには「三人目」の姿が見え隠れします。『山月記』は三人による「トリオ劇」だったのです。トリオといえば東京03。トリオならではのネタの構造を紐解きながら、なぜ『山月記』が「トリオ劇」で、トリオだからこそ『山月記』が成立することを確認します。
課題作品:中島敦『山月記』(青空文庫あり)
東京03「サングラス」「スマイルハウジング」
第2回
・ピン芸人の構造論―「語り」か「対話」か
吉住、ヒコロヒーなどの「独白型」、バカリズムなどの「対話(落語)型」。それぞれの特徴、魅力はなにか。文学の多くは直接話法におる「対話型」が多いものの、谷崎の『卍』のような完全独白型の文学もあります。主に「独白」による語りに着目しながらピン芸人を検討し、さらには佐久間一行のような「どちらにも属さない型」も検討してみましょう。
課題作品:吉住「依存症」、ヒコロヒー「懺悔室」、バカリズム「悪魔の契約」「銅と銀」
谷崎潤一郎『卍』(できればでいいです)
第3回
・「お笑い」と「抵抗」「逸脱」―フェミニズムからの視座
「お笑い」は規範からの逸脱をも可能にする。私たちの目の前に横たわっているはずなのに目には見えない規範、抑圧をかわし、反撃する。時には抑圧されている者を可視化することにも繋がる。Aマッソ、Dr.ハインリッヒなどのネタを起点としながら、抑圧はどのように可視化され、規範から解放されようとしているのかを眺めてみましょう。
課題作品:Aマッソ「紙媒体」、「進路相談」、Dr.ハインリッヒ「砂漠」
ピース又吉×スパイク小川「霊能力者」
第4回
・トム・ブラウンをなぜ笑う?―小川洋子『貴婦人Aの蘇生』をヒントに
トム・ブラウンのネタを見て、私たちは「笑う」かもしれません(笑わないかもしれませんが)、では、なぜトム・ブラウンのネタを見て、私たちは「笑う」のでしょうか。トム・ブラウンのネタのどこに「笑う」要素があるのでしょうか。実は、トム・ブラウンのネタのモチーフには、文学に共通するものがあります。そこで登場するのは小川洋子『貴婦人Aの蘇生』です。トム・ブラウンと小川洋子、一見相容れない二者の文学ですが、ある共通点があります。
課題作品:トム・ブラウン「ナカジMAX」、「アントニオ猪木のものまね」
小川洋子『貴婦人Aの蘇生』
第5回
・ランジャタイとラーメンズ―谷崎・芥川の文学論争を比較して
いわゆる、谷崎と芥川の間で取り交わされた「話の筋論争」。「構造的美観」を標榜する谷崎に対して、芥川は「話の筋は要らない」と応戦した。論理や「筋」が欠如しているように見えるランジャタイ、かたや構造によって囲まれたラーメンズ。この相反する二者のネタを谷崎と芥川の応酬をヒントにしながら比較していきます。
課題作品:ランジャタイ「宇宙の真理」、「バーベル」
ラーメンズ「採集」、「モーフィング」
第6回
・ランジャタイとシェイクスピア―聴いてはいけない声を聴く
ランジャタイとはなんなのでしょうか。ランジャタイはお笑いなのでしょうか。ランジャタイをみて笑うというリアクションを取るけど、それは正しい反応なのでしょうか。ランジャタイが演じているのはある種の「悲劇」なのではないでしょうか。他の誰も聴いていない声を聴いてしまい、その声に従って狂気の中に入り込んでいく。狂気の向こう側に「悲劇」がある。「悲劇」と「喜劇」の境界線。それはランジャタイとシェイクスピアの境地なのではないか。
課題作品:ランジャタイ「欽ちゃんの仮装大賞」、「サザエさん」、「東京タワーの真実」
シェイクスピア「ハムレット」
<当日の流れ>
・自己紹介
・課題作品の感想
・解説
・自由討議・まとめ
・次回の予告
<プロフィール>
小田垣有輝(オダガキユウキ)
私立中高一貫校、国語科教員。今年で教員10年目。研究分野の専門は谷崎潤一郎、語り論。教員として働くかたわら、個人文芸誌『地の文のような生活と』を一人で執筆・編集・刊行(現在vol.1~vol.4まで刊行中)。本づくりを通じて、自らが帯びる特権性と向き合おうとしている。