【読み物】「定住するにはまだ早い」(碇雪恵)

 現在42歳、これまでに11回引っ越した。それぞれの部屋を振り返ってみて気づいたが、2年間の契約更新をしたのは現在住んでいる部屋だけだ。もっと踏みとどまって都度かかってきた引っ越し費用を貯められていたら……と思わなくもないが、「引っ越したい!」と明確に自分の意思で決めたのは、実家を出た最初の引越しと、内見せずに初めて一人暮らししたアパートがあまりに古くて1年で引っ越した、その2回くらいだ。それ以外は、短期留学や就職、一緒に住んでいた人の事情やその人との関係変化など理由はさまざまで、しかし、そのどれもが人生においてなんらかの節目になっていたように思う。だから、引っ越しを思い出すことは人生を振り返ることに似ている。

 なぜこんなことを言っているかといえば、松尾スズキ『物件漂流記』(文藝春秋)を先日読んだのだ。執筆時点で61歳の松尾さんが計14回にわたる引越しの全記録を収めたものだが、部屋に紐づく記憶とともにこれまでの歩みを振り返る読み物にもなっている。それがあまりにおもしろくて一気読みした。

 妻と暮らすマンションの隣の土地で工事が始まり、その大騒音に悩まされた松尾さんは、ある日ポストに入っていた不動産広告のチラシにピンと来て、2日後に手付金を払い新築戸建てを即金で購入することに。「終の住処」になるかもしれない今回の家への転居の顛末の前に、それまでに住んできた部屋を振り返る。23歳で地元北九州から上京して成増の古いアパートに越し、その後働いていた印刷会社を辞め、下北沢駅徒歩1分家賃1万円の三畳風呂なし物件に移り、東京の劇団を一通り観て「うん、いけるわ」と25歳で劇作家に。その後は知られた通り演劇界で唯一無二の存在になっていくわけだが、その時々住んできた部屋をフックに、移り変わっていく人生と人間関係が描かれている。上京初期に住んでいたボロボロのアパートと、最後に買った新築戸建ての差が凄まじいが、売れっ子になったらすべてが順調でハッピーと言うわけでは決してなく、立場が変わってもずっと大変なことは続く。彼女や妻との関係性の変化(向こうの浮気が判明して別れるなど)が引越しのきっかけになっていることも多いが、ところどころ「引越しの虫が騒ぐ」と書いてあるように、松尾さん自ら、より居心地のよい場所を求めて動き続けた道のりが記されている。

 ここで話がぐいっと変わるが、この文章を掲載してくれている書店・双子のライオン堂は今年(2026年)12月で赤坂での店舗営業を終える。入居しているビルの建て替えによるものだという。赤坂へと越す前には白山に店を構えていて、「100年続く本と本屋」を掲げるライオン堂だから、今回の引越しも乗り越え、どこか別の場所に、より居心地のよい本の森を育てていくのだと信じている。竹田さんもわたしも同年代で、松尾さんの20個下くらいだ。であれば、終の住処に落ち着くにはあと20年はかかるとみておいてもいいのかもしれない。最初に述べたように、わたしはまあまあ引越しをしているので、必要な時には作業員として手伝うし、ライオン堂漂流記をいつか読むことを楽しみにもしている。

碇雪恵(いかり・ゆきえ)
北海道札幌市生まれ。出版取次会社、出版社での勤務を経て現在はフリーランスライター・編集。自主制作した本に『35歳からの反抗期入門』『われわれの雰囲気』(植本一子、柏木ゆかとの共著)など。新宿ゴールデン街のバー「月に吠える」金曜店番。

【読み物】体全部で『銀河鉄道の夜』を読んだこと(高村読人)

 物語を摂取する方法のひとつとして朗読があるのだけれど、それはつまり『体全部で読書をする』ことだと思っている。

 そして朗読とは《文字言語》で表現された文学作品を《音声言語》で再構築する芸術だと、東百道氏が自身の著書『朗読の理論』に記していた。私はこのひとの朗読を知らない。けれどこの言葉を信じている。

 数年前、朗読家の馬場精子さんが読む『銀河鉄道の夜』を聴いた。

 夜の上野水上音楽堂の舞台に立ち、たった一人であの大きな物語を担っていた。薄く音楽がかかっていることすら忘れてしまう完全な集中のなかで、九章の終盤「別れ」直前の二人の会話に私はまるっきり体を預けてしまった。「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう」。

 文字で読んだことも声で読んだこともある文章なのに、それを聴いた私は「カンパネルラにはもう会えないんだ」という実感がほとんど天啓のように突き刺さり、涙がぼろぼろとこぼれて止められなかった。あの物語を読んでこんなに「どこまでもどこまでもほんとうは一緒にいきたかった」と思ったことはない。

 目で読んだ物語を耳で聴いて、作品に出会い直した瞬間だった。

 『銀河鉄道の夜』は美しく、難解で、何度読んでも最後まで掴み切れない余白と魅力のある作品だ。

 私は今でもまだ、読書をし、朗読をし、読書会という場で意見を交わすことで、何度もこの作品に出会い続けている。

 先月、私が担当する「朗読で楽しむ連続読書会『銀河鉄道の夜』」の範囲は九章の終盤「別れ」直前の二人の会話の場面だった。「カンパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう」。

 あの時観た舞台と同じ箇所を、私もまた人前で読んだ。

 実際に朗読してみると、あの時の私と同じように涙をこぼした参加者の方がいた。

 なんて素直な感性の方だろう!と感動すると共に、この物語の強さに改めて驚かされ「あなたって、こんなに読んでもまだ私に見せない顔があるんだね」と優しい気持ちになってしまった。

 声で読んだ物語をひとに聴いてもらうことで、また別の角度から出会い直した瞬間だった。

 おそらく目で読まれることの多いであろう『銀河鉄道の夜』を、声で読んだことがあるひとはどれくらいいるだろう。

 ぜひ、目と耳の両方で、体全部で、作中のオノマトペを、登場人物の感情を読んでほしい。文字ならば秘めていられても声は嘘を吐けないものだから、あなたの声にも彼らの気配が乗るかもしれない。

 例えば『銀河鉄道の夜』第三章『家』でのジョバンニとお母さんの会話。


「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」
「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんといっしょなら心配はないから」
「ああきっといっしょだよ。お母さん、窓をしめておこうか」

 果たしてジョバンニとカンパネルラは本当に「一緒」だろうか。ジョバンニはどこまでこの言葉を信じて言っただろう。どんな気持ちで、どんな表情で。

 物語の中の彼らが吐いた嘘や込めたほんとうを確かめにいってほしい。

 私にとって、体全部で読んだ『銀河鉄道の夜』は眩しかった。それは羨望を覚えるだとかの複雑な意味ではなくもっと単純な感覚の話で、印刷された黒い文字がちかりと光る気がしてしまう。私はこの作品に、暗闇で瞬く無数の青いシグナルのイメージを持っている。眩しくて寂しい、いのちが放つ電気信号の青色だ。

 あなたはどう感じますか?

 黒い文字があなたにとって何色に見えたかは、もう時間ですから、この次の理科の時間にお話します。では今日はその銀河のお祭りなのですから、みなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。

 ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。

高村読人(たかむら・よみひと)
朗読家。どこかで細々と朗読している。

【2026年8月の営業について】

ごきげんよう。

双子のライオン堂の店主・竹田です。

いつもご利用ありがとうございます。

2026年8月の営業についてお知らせします。

基本の営業日時は下記の通りです。

水〜土曜 15:00〜20:00(日、月、火曜、定休日)

現時点での店舗営業日の変則的なスケジュールは、ありません。

出店予定は、下記の通りです。

8/8(土)、9(日)、浅草ブックマーケット(店主の新刊の先行発売で雷鳥社のブースで店番します)

8/26(水)〜28(金)、祐天寺・学芸大学にあるカフェ犬みみさんで出張古本屋やります!

外部イベントは、下記の通りです。

8/6(木)、神保町にあるチェッコリさんで「韓国の詩を日本の詩人と読む」の司会を行います。

8/25(火)、神保町にあるチェッコリさんで韓国文学の読書会の司会をします。

そのほか店舗でのイベントなどは、公式noteをご覧ください。

https://note.com/liondoev

以上です。

急なお知らせは当サイトのNEWSまたはSNSをご確認くださいませ。

http://liondo.jp

【読み物】「基本はリズムキープってRIP SLYMEも言ってたし。」(有地和毅)

 今からざっくりしたことを言うけど、驚いたり見下したりして耳を塞がないで欲しい。きっと君にも役に立つことだから。

 社会にはリズムが足りてない。リズムだ。ドンカッドドンドンカッとか、ツクツクツクツクツクとかのリズムだ。手首の血管に指先を当てた時に感じるリズム。心臓が拍動し、息を吸って吐くリズム。あらゆるものはリズムを持つ。なのに社会にはリズムが足りてない。たぶんそれは意図的なものだ。個別のリズムをぶった切るように社会は設計されている。リズムが無ければ、動きは止まり、空気は澱み、何もかもうまくいかないって気分になる。停滞してる感じ。クソ、マジかよ。冗談抜きで窒息しそうだ。

 だから君もわたしもリズムを取り戻さなくちゃならない。内側から湧き上がってくるリズムを。それは世界に溢れるリズムに気づき、同期することだ。エドガー・ライトのシットコム『スペースド』に登場するレイヴ狂いのタイアス・オフラハティが電話の着信音と秒針の音でガンギマって踊るように。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でセルマが工場の機械の作動音からミュージカルを紡ぎ出すように。

 まずはリズムに気づくことからはじめてみよう。リズムを感じるのは耳だけじゃない。目も指先も鼻も胃袋もリズムを感じる。君が五感のアンテナをくるくる回せば、世界がリズムに満ちていると気がつくだろう。電車の窓から見る電線、ガタンゴトンという揺れ、点滅する赤信号、会話と相槌、歩行、心臓音、新月と満月の間、潮の満ち引き。人工物から自然物までそれぞれの周期で揺れ動いている。「There’s a whole lot of rhythm going round」とジョージ・クリントンが歌うみたいに。

 リズムを見つけたら次は同期する。タイミングを合わせて一緒にステップを踏むんだ。リズムに同期するためには自分自身がリズムを発する振動体にならなくてはならない。君はどう? 発してる? 振動してる? 振動ってヴァイブレーション、つまり、ヴァイブスだ。それは、周期的に行ったり来たりを繰り返すこと。ヴァイブスって言葉を使い潰したクソつまらない連中にギラギラの指輪を四つくらいハメた中指を立てよう。そして君もわたしも自分自身のヴァイブスを見つけて、揺れ動くんだ。

 リズムを発するためにわたしは散歩をする。手足を交互に前に出す。反復する動作が自然とリズムになっていく。リズムを発するために、本を読むこともできる。たとえば一文字一文字を追う視線が改行でつんのめるように移動する時にリズムを感じる。遠くでタイプライターのベルがチーンと鳴ったような気がする。ページをめくるのもリズムだ。リズムを発するようにデザインされた言葉もある。俳句や短歌、マチネ・ポエティクみたいな定型詩や、ライミングに溢れた遊び歌がそうだ。

 わたしのお気に入りは金関寿夫と元永定正によるリズム絵本『カニツンツン』(福音館書店)だ。黙って、そして、声に出して読んでいる。It goes like this…

「カニ ツンツン ビイ ツンツン

ツンツン ツンツン

カニ チャララ ビイ チャララ

チャララ チャララ」

 これを時には黎明期のデトロイトテクノのように読むし、またある時はフリーカーミュージックみたいに読む。ハイチのヴードゥーのドラミングのように読んだり、チベット仏教の声明のように読むことも、ミュージカルのように読むこともできる。声に出して読むうちに自分自身からリズムを発する感覚が掴めてくる。次第に書かれた文字列は素材になる。サンプラーのパッドを叩くみたいに、カニ、ツンツン、ツン、ビイ、ビイ、チャララ、ビイ、ツンツン、ツ、ビ、チャ、ララ、ツンツン、カニツンツンツンツンツンツンツンツツンツンツン……と自在に変形していく。

 朗読ってこんなだっけ? 朗読は原文の通りに読むものだが、原文にない息遣いや間の取り方、声色は朗読者に委ねられている。朗読の中のちょっとした遊びを拡張していくとこんな感じになってもいいのかも知れない。読むことは自分を変化させるだけじゃなくて本をも変化させるってことなのだ。だいじなのはリズムを途切れさせないこと。基本はリズムキープってRIP SLYMEも言ってたし。何よりも、わたしがわたし自身のリズムを、そして、君が君自身のリズムを取り戻すことを祈ってる。発信なんてうっちゃってさ! 世界を置いてけぼりにして、夜通し発振し続けよう!

有地和毅(あるち・かずき)
1987年広島県生まれ。そこはかとなくファニーなブックディレクター/ブックウロチョラー。本と出会うための本屋「文喫」をはじめ、「本を新たに社会実装する」をテーマにかたく柔らかくさまざまな動きをつくっている。散歩と食べものと音楽が好き。